|
Profile

に〜やん: ボーカル、A.ギター、E.ギター、ハーモニカ。

CSNYが『4 WAY STREET』を発表することになる年の一月、
16才の誕生日を機にギターを弾き始める。
高校のクラスメートたちとCSN&Yとポコのカバーバンド、
「グランド・ジャンクション」を結成をする。
大学時代は、軽音楽部に在籍。
級友O氏とE氏とで結成した
ブリティッシュ・ハード・ロックをカバーした唯一のバンド、「NEO」を皮切りに、
以後、「RARIRURERO」、「オレンジサンシャイン・ブロークン・ピーチ」、
「フライング・ブロークン・ピーチ」、「フライング・アゲイン」、
「ダイナマイト・リズムセクション」・・・
といくつかのバンドに参加。
その間、あるフォークシンガーの”拾得”でのライブにベーシストとして参加。
その後の参加を求められるも自分自身のバンド活動のため辞退する。
リードボーカルとギターリストとして参加した当時のバンドは、
どれもアメリカン・ロックを演奏するバンドであった。
CSN&Y、イーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、オールマン・ブラザーズ・バンド、
レイナード・スキナード・・・
などの当時の曲をカバーしていた。
卒業後20数年間は、バンドとしての活動はなく、
演奏の主体はもっぱら自宅にて行う個人的な多重録音が中心となる。
ニール・ヤング3度目の来日公演となった2001年の夏、
「SLEAZY HORSE」を結成する。
神戸市在住、バイカー、ノンスモーカー、グッド(?)クック、アマチュア(!)メカニック・・・
ラブ・アンド・ピース、レイド・バック、ダウン・トゥ・アース、
"消え去るより燃え尽きたほうが良い"・・・
管理人”に〜やん”の部屋
ヤント: ベース・ギター、ボーカル。

15才の時にテレビのグループ・サウンズに触発され、同級生のK氏とギターデュオ
を結成。5,000円で買った中古のテスコのエレキでリードギターを担当するが、
「キャラバン」が弾けずギターを断念。
その後某友人より500円でベースを譲り受けベースを担当、20才頃までベンチャーズ、
寺内タケシをコピーしまくる。
大学に入った頃より従兄弟のT氏、その友人のS氏らと共に「ザ・マヨネーズ」を結成。
この頃よりアメリカン・ロック一筋に今日に至る。
伝説のバンド「オーソドックス」に参加。
その後、R&Rバンド「仕事人」を経て、
現在、「SLEAZY HORSE」のベーシストとして活動。
枯れたベースなど弾きたくない、京都市在住の不良中年。
好きなアーチスト : CCR、ニール・ヤング、
エリック・クラプトン、デイブ・メイソン、
オールマン・ブラザーズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、
レス・デューディック、フーターズ
尊敬するベーシスト : ビリー・タルボット、ステュ・クック、ボブ・ボーグル、
カール・レイドル、ボブ・グローヴ
好きな食べ物 : きつねうどん、お好み焼き、梅干し(ただし紀州に限る)、いかなごのくぎ煮
好きなタイプ : 持田香織、井川遙、優香
C−まなか: ドラムス。

12〜13歳頃のGSブーム時、テレビ前にナベ・やかんを並べドラムのまねごとを始める。
17歳の時、パールの「サンダーキング」モデル(当時15万円の新品)をバイト代で購入。
この頃から「ビートルズ」を全アルバムに渡りコピーしまくる。特に、「ラバー・ソウル」以降の
後期アルバムを中心に、ヘッドフォンでレコードを聴き、リンゴのリズムパターンやオカズを
トレースしていくという、「ひとりH」的な事を7年ほど続ける。
22〜23歳頃にヤントの従兄弟、タダの友人ミッチャンと知り合い、ニール・ヤングを知る。
ミッチャンをきっかけに、初のバンド・ドラマーとして「ザ・マヨネーズ」にも参加。
当時、新譜の「ラスト・ネバー・スリープス」・「ライヴ・ラスト」等をコピー。
現在は、E.クラプトンなどのコピーバンドとしても細々と活動中。
27歳で原チャリ免許を初取得。以降、OFFROAD-BIKE(ヤマハONLY)にハマリ、現在も狂いっぱなし?
近畿エリアの林道はほぼ走破。30〜34歳頃は毎日曜ごとに日帰り林道ツーリングで400km前後を走る。
02年8月、ヤントの誘いで「SLEAZY HORSE」に乱入、46歳。
(自身のコメント)
クレイジー・ホースのドラムは、テクニック以外の所に難しさがあると思っています。
まあ、ニール・ヤングの感性だけの音楽にリズムを乗せるという事は、テクニックだけの
プレイでは表現できないのかもしれません。
’Ralph Molina’というドラマーはテクニックだけではなく、ニールのギタープレイ・音楽性に
自分の感性で応えるようなプレイをしているんだなあと感じています。
クレイジー・ホースをカバーするということはまさに、自分自身どれだけ’Ralph
Molina’に
成りきれるかと言う事なのでしょうね。
でも、これは「一生無理だ!」という自己暗示を今、自分自身にかけています。
さあ〜て、「SLEAZY HORSE」のドラムは聞く人にどういう風に感じられるか、楽しみです。
ライブを見る機会があれば、ちょっとリズム隊にも耳を傾けてみてください。
「コマンドラインからこんばんは from C-まなか」
Tomy:A.ギター、E.ギター、ボーカル。
13歳でフォークギターを買い、岡林信康、五つの赤い風船、井上陽水、吉田拓郎の弾語りを始める。
同時に、ZEP、パープル、ユーライアヒープ、クリムゾン、YES、サンタナを聴き、歪んだギターの音に憧れる。
高校に入ってエレキを買い、クラプトン信者に。嗜好が完全にアメリカンになり、
ドゥビー、イーグルス、オールマン、ニールヤング、レーナード等が中心になる。

大学時代のクラブでバンドを組み、CCR、スティタスクオー、CSNY、レーナードスキナード、
ヘンリーポール、などをカバー、ツインギターのサザンロックのバンドだった。
メンバー変わって次のバンドは、シンプルにギターのみの男くさいサウンドを追求するコンセプトにて、
ニールヤング&クレイジーホース、WHO、グラハムバーカー、キンクス、をカバーした。
最後のコンサートの最後の曲がLike a Hurricaneだったのがこれまた印象深い。
就職後、福岡に配属となり音楽的には暗黒の10数年をすごす。
1998年、大阪に戻って早速バンド活動開始、『FISSH』というバンドで2年間は
CCR(というかジョンフォガティーのソロ)専門にリハビリ、
のちの2年間は超ムズイのカントリータッチトリプルギターバンド:Outlaws:のカバーをやりながら腕を磨く。
2002年、FISSHは活動休止、そこでかねてからやりたかったニールヤング&クレージーホースを徹底研究。
また、多重録音生活に入り、シコシコと一人ハモ、一人ツインリードギターで悦に入る。
2003年 アナザードリームのJNFでのスリージーホースを見て感動、以後 親交を深める。
のちにYOKOさんが出られない時のピンチヒッターでギター参加する。
同時に自身がリーダーのニールヤング&クレージーホースのカバーバンド『TOMY & THE GOMUHORSE』を立ち上げ、
2005年11月に円満解散をするまで、2年間活動をする。
2004年夏 オーリアンズをカバーする『Mackintosh』を立ち上げジョンホールを目指し今に至る。
2005年夏 新キャラでアコ弾語りのニールヤング『TOMY‘LL YOUNG』デビュー。
ズラにパッチワークのGパンが目印にて今に至る。
2006年 スリージーホース メンバー最年少にて加入し今に至る。
モットーは『やれるうちになんでもやっておこう』『休むのも仕事のうち』『人の活躍を生で見れば、自分も元気になれる』
Tomy's Home Page..NEIL YOUNG & TOMY

「SLEAZY HORSE」のオリジナル・メンバー、05年12月脱退。
Yoko:A.ギター、E.ギター、ボーカル、キーボード。

10代であった60年代からギターを弾き始め、
’70「子連れ狼」R&Rバンド。ライブ活動を開始する。この頃、ヤントと出会う。
’72「Hot Cha」厚生年金会館等でコンサート中心に活動。初のシングル・レコード製作。
’73「Ad−balloon・puca」ヤントと共に参加。京大西部講堂などでライブ。
同時期、ヤントとのカセット・アルバム製作。に〜やんと初のセッションをする。
「xxxトリプル・エックス」で河村と出会い、活動をともにする。
’75「オーソドックス」河村、ヤントと再会し、ともに活動する。”拾得”、”磔磔”、広島コンサート。
「Andy&Firecrukers」ライブ参加、”磔磔”など。
’80「アンシャンテ・ルシュー」ホール・コンサートとC.B.G.B.で活動。
’82〜’02 セッション・ギタリストとして多数のミュージシャンと演奏活動をする。
Mr.N.H., Mr.F.I.(フォークシンガー)、ムーン・クラッシュ(フォークロックB.)
・・・”拾得”、”磔磔”、”ネガポジ”等でライブ。
ラブ・ハンティングス(ラテンB.)・・・大阪、京都でライブ。
Mr.Toku(ブルースシンガー)・・・広島でセッション。
KAYA(レゲエB.)・・・東京、京都、姫路、岡山、広島、徳島、香川のツアーに参加。
エキップ(ポップB.)・・・京都、岡山、広島ライブ。
Mr.Youzan(プロデューサー、シンガー&ソングライター)
・・・彼のソロ・アルバムのレコード&CD製作に参加。
K&N(ポップ男女ユニット)、Mr.クンチョー(サウス・トゥ・サウス)、
Mr.長岡忠治(スタジオ・ミュージシャン)、Mr.岩沢二弓(ブレッド&バター)、
Mr.鈴木茂(はっぴいえんど、ティンパン・アレイ等)、
Moss・Band(R&B)ライブ・スポット,ラグでのライブ参加、...その他。
’96〜 MBS毎日放送のB.G.M.(4CDs)製作。
’96〜’98「K.H.C」(ジャズコンボ)結成。
’97〜’98 Yoko企画ライブ:◎E.クラプトン・アンプラグド再現ライブ、◎田舎芝居の20年ぶりお久しぶりライブ。
’02「JAZZ・DUO」(VoとGのジャズユニット)
’01〜 「SLEAZY HORSE」で活動中。
’52.7.20生まれの今年50歳。(’02現在)
およそ、「バリバリ」とか、「ガツガツ」とか、「モリモリ」とかいった形容の似合わない、
むしろ、「淡々」とか、「飄々」とか、「黙々」とかいった感じの言葉が似合う人物。
つかみ所の無いところが実に怪しい???
名前を見て美女を想像した人は完璧に期待を裏切られる。・・・(言いたい放題byに〜やん)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今後は、ジャズ系のギターリストとして活動していくとのこと。
に〜やんのコメント
「SLEAZY HORSE」のオリジナル・メンバー、02年8月脱退。
河村: ドラムス。

17才よりドラムを始め、高校時代は、神戸、芦屋、西宮などで活動し、
自主コンサート等もおこなう。
大学より活動を京都に移し、軽音楽部で活動するかたわら、
21才でブルースシンガー豊田勇造の全国ツアーのドラマーとして活動を開始する。
その後ジャズドラムのレッスンを改めて受け、
フォーク、R&B、R&Rなどの自主製作レコーデイング、
ライブのバック、演劇の効果音楽製作への参加等、
セッション活動を京都中心につづけつつ、
プログレッシブ系のバンドにも参加活動する。
自己のバンド「Shi−Shi」を元入道の(G)、元ドクターの(Vo)、元勇造バンドの(B)と結成し、
京都の”磔磔”を本拠に、東京、名古屋、福山、大阪などでライブをおこなう。
R&R、R&B系の「オーソドックス」に参加、
活動歴の長いミュージシャンばかりで結成した「CAM’S」に参加、
現在まですでにこのバンドは15年以上活動をしている。
”拾得”、”磔磔”、”トガトガ”等で活動し、今年は大阪、神戸等でもライブを計画している。
現在は、京都に在住、数年前より滋賀県でドラムの講師もつとめている。
そして、・・・「SLEAZY HORSE」に参加。
好きなドラマーとしては、
バーナード・パーデイー、サイモン・カーク、カーマイン・アピス、ティム・ドラモンド、
デビィッド・ガリバルディ、トニィ・ウイリアムス・・・・などなどグルーブのあるドラマー。
すべてなんらかの影響を受けているしピクリときたビートやおかずは何でも取り込むようにしている。
つまらん10個のおかずより、魂のはいった一発のジャストビート、のりのあるリズムが信条。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
02年8月、「SLEAZY HORSE」を退いたが、現在も「CAM’S」で活躍している。
Top Pageに戻る
|