VIBES MEETING ’98
”バイブズ・ミーティング”と呼ばれるこのイベントは
バイカーの多くを購読者に持つ”Vibes(バイブズ)”という有名バイカー・マガジンの主催で行われる
国内では間違いなく最大規模のバイカーズ・ミーティングである。
毎年体育の日前後の休日に、各地に場所を移して開催されてきたが、すでに今年(’02)で10回を数える
数千台のバイクが年に一度のこのビッグ・イベントのために全国から集まってくるのである。

’98の第6回目バイブズ・ミーティングは10月の9〜11日(金土日)、
兵庫県の日本海側、城之崎から程近い気比の浜海水浴場で
例年のごとくキャンプ・ミーティングの形をとって開催された。
以前から、一度参加したいと願っていた私にとっては、幸いにも近場での開催ということで
何とか仕事の都合をつけ、9〜10日の予定で行くことにした。
当日(9日)は午前中で仕事を終え、バイクの後ろにキャンプ用具を山積みにして、
昼飯もそこそこに出発した。もちろん一人である。
第二神明から加古川バイパスを通り、播但有料道路に入り、市川のPAで休憩する。
何台かのバイクが次々と通り過ぎていくのを親指を上げて見送る。
ミーティングがあるときにはよくある光景で、
目指す目的地は一緒だが、これがバイカー同士が交わす挨拶なのだ。
多くは、グループであったが、
その中に、一人で走って行った1台のバイクに目が留まった。
たぶん自分と同様に一人で参加するバイカーなのだろう。
ちなみに、アメリカではMC(モーターサイクル・クラブ)に属するバイカーと区別して、
一人で走っているバイカーを「インディペンデント」と呼ぶ。
その後1時間ほど北に向け走り、
今度は養父の道の駅で休憩しようと乗り入れると、さっきのバイクが止めてあった。
何故そのバイクに目が留まったかといえば、自分バイクに良く似ていたからだ。
その横に止め、休憩していると、1人のバイカーが近づいてきた。
このバイクの持ち主で、さわやかな笑顔で話しかけてきた。
年のころなら私より5才ほどは若く見える彼は、Nと名乗った。
岡山から走って来たことや、これから先のルートや、
向うでは同様に全国から一人で走ってくるバイカーたちと、
グループが出来ていることなどを語っていた。
先に出発して行ったNの後を、
彼とは違うルートで走って行ったのだが、
私が会場に着いたとき、バイク駐輪場の数台先で彼は荷物を下ろしていた。
これも何かの縁と、Nは自分たちのグループに合流しないか?と誘ってくれた。
そして、私は彼の誘いを快く受けた。

彼の後に付いて行った松林の中のテントサイトには、
もうすでに二人のバイカーが先着していた。
そのうちの一人は、どっかと椅子に腰を下ろし、
もう一方の男にあれこれと指図をしていた。
彼らに挨拶をし、お互いの出身地を語ったとき、
Mは二人で北海道から走って来たことを告げた。
テントを張りながら、彼らの話声を聞いていると、
上条恒彦が髭を生やしたようなこのMと名乗る男が
この集まりの中心であることは直ぐに分かった。
Nが夕食の準備のため買出しに行く頃にはさらに数人のバイカーが合流していた。
彼らは、一様に強面な出で立ちをしているのだが
表情は穏やかで、ある者は救急隊の隊員、ある者は建築士、またある者は獣医と、
それぞれが、立派に社会生活を営む大人の男たちだった。
Mはこの輪の中にあって、あたかも牢名主のようであった。
それは、決して悪い意味ではなく、
彼の人望と風格が、車座になって火を囲む我々の中で
とりわけ際立った存在感を放っていたせいであろう。
疲れのため早々とテントの中のシュラフに身を滑り込ませて
外の彼らの語り合う声を聞いていたが
人生や家族について語るMの話に
素直に耳を傾けては、頷いているNの態度に
Mを兄のように慕っているのがはっきりと読み取れた。
彼らの話し声はその夜遅くまで聞こえていた。
翌朝、起床してみると昨晩からさらに合流したバイカーが増えていた。
中には、仕事を済ませた後、十数時間をかけて
不眠状態で走ってきたバイカーもいたらしく、
その情熱と体力にただただ感心するばかりであった。
翌日の仕事のため、開催日を一日残して帰らなければならない私は
昼飯を済ませた後、早々と帰り支度をし、
残った仲間たちとまたの再会を誓いながら
その場を後にした。
Nは駐輪場まで見送ってくれた。
人柄の良さが表情に見て取れるNは私が忘れ物をしていないかを
気遣ってくれていた。

会場のゲートを出て行くときに、Mとすれ違った。
私はバイク、彼は歩いていたので何の声をかけることも出来ず、
ただ一瞬目と目が合っただけであったが
そのときは、また今度どこがで会えそうな気がして、
次の機会には彼と大いに語り合いたいと思いながら帰路についた。
Mがトレーラーの運転を仕事にしていること、奥さんが看護婦をしていること、
二人の息子さんがいること、そして九死に一生を得るような大事故を経験していたこと
(彼が腰重く椅子に座っていたのは足の状態が良くなかったせいなのだろう)
などを知ったのはミーティングから帰ってしばらくして
”バイブズ”のバックナンバーの中に掲載されていた彼の人物紹介の記事を読んだときだった。
より一層彼に興味を抱き、いつの日かどこかのミーティングで
また会えることを楽しみにしていたのだが・・・
一年半ほど経ったある日、発売日に買った”バイブズ”に
見覚えのある写真が載っていた。
それは、あの日火の周りに集まった仲間たちと写っている一枚の写真だったが
何故かセピア色をしていた。
下には、「M氏追悼」と書かれてあった。
彼は信じ難いが私より一つ若かった。